―北土舎―
味わいの古民家に集う
千葉の工芸、千葉の手しごと。
―ナナクニヤマMINKA―
火のある生活の体験
地域工芸に触れられる宿
―いすみレンタルスペースNARUSE―
~地域の交流空間~
一日だけのお店やりませんか?

いすみより愛をこめて

北土舎の民泊施設、ナナクニヤマMINKAの露天風呂の古い風呂桶を新しくしました

この風呂桶は地域の木桶職人が、いつもの技術で、日本の木材で、全て一人で、手作りにて仕上げています。

特別なことは何もありません。気をてらわない、少し昔ならただの少し大きめな風呂桶と言ったところです。

先ずその木肌に触れてみてください。つるつるじゃありません。ざらざらでもありません。ただただ優しいのです。濡れた木肌も本当に美しいです。

そして香りを楽しんでください。檜の香りは心からリラックスさせてくれます。

木釘で連結された板の木目は整然として、それを締め付けている鉄線は力強さを感じます。

水を満たしても頑丈で大人が二人入ってもびくともしません。

細長い板を組み合わせているだけなのに、質実剛健で美しい。

誇らしい日本の木桶文化です。

木桶の風呂は入浴という日常が非日常なものになります。

でも今では旅館に行っても中々お目に掛かることはありません。

それを作ることのできる職人がほとんど居ないからです。

この風呂桶を作ったのはご高齢の職人です。ここでの風呂桶としての納品は最後になるかもしれません。

私たちは価格や利便性を追求し過ぎるあまり、大切な技術や文化を失いつつあります。

せめてこの職人の矜持を知っていただきたいと思うのです。

ナナクニヤマMINKAのウェブサイト

使い続ける話し

我が家では隣町にある桶屋さん、森川風呂桶店のお櫃(ひつ)を愛用しています。

若い頃は旅行先の旅館や気の利いた食事処などで料理と共に見かけることはあっても、自分の家で使うことを考えたことはありませんでした。

自宅に炊飯器はあったし、炊飯器でご飯を炊いたらラップに包んで冷蔵庫に保存しておく方法が一番楽だと思っていたからです。

つまりお櫃はあったとしても余計なものだと思っていました。わざわざ買う必要もないだろうと。

ところが、使用してみるとその総合的な使い勝手が良いことに気づいたのです。

先ず美しい。

物に溢れている現代、私たちは機能性だけではなくそのビジュアルからしばしば物を選ぶことができます。

このお櫃はサワラと言う木材からできています。

切った木材を、オリジナルの定規を利用して組んだら丸くなるようカンナで削っていくのですが、その木目は美しく、つなぎ目はぴっちりと密着しています。

部材を引き締めるのに使用している銅製のタガは使い込むとピカピカから落ち着いた色へと変色し、全体のデザインを引き締めるアクセントにもなっています。

蓋を被せると程よい抵抗感があり、多少の通気を保ちながらもブカブカにならず、ピタリと閉まっていくのが分かります。この蓋が頭を形成し、炊いたご飯を入れる桶部と一体となった時にできるお櫃のフォルムは、食膳に独特の存在感を見せてくれます。

そして全体的にムダなデザインはありません。炊いたご飯を保存しておく、その仕事のために材料は厳選され、体は作られているのです。余分な贅肉を持たない、ただ競技を極めるアスリートの身体が美しいと感じる気持ちと同様、この木桶にも私たちは感動を得ることができます。見ていて飽きない気持ち良さが木桶にはあります。

続いて香りが良い。

お櫃は通常サワラ、スギ、ヒバ、ヒノキなどで作られますが、水分を含むと針葉樹独特の香りがします。

この香りは抗菌、防臭効果も併せ持ち、炊き上がったご飯の香りと相まって得もいわれない心地良さを感じるのです。所謂フィトンチッドというものでしょうか。

これは無機質的な素材では先ず感じることのできない、木製のお櫃ならではのものでしょう。

そして乾くと香りは落ち着く。何とも不思議かつ素材の醍醐味を味わせてくれます。私たちはこの香りに程よい幸福感を得ることができるのです。

そして最後に機能的である。

使い続けてすぐに分かること、それは炊きあがったご飯の余分な水分を木桶が吸い取ってくれ、ご飯を程よい状態に保ち続けてくれることです。

しゃもじでご飯を掬うと、木桶から、またご飯どうしから、ご飯が綺麗に掬い上げやすくなっていることに気づきます。これは明らかに炊飯器やタッパーからご飯を掬い上げる時と異なる感覚です。

かと言ってご飯はパサパサになることはありません。

木材に含まれた湿気は、櫃内の湿度を適度に保ち、ご飯自体が乾いてしまうと言うことはないのです。
木材は湿気を調節するために呼吸しているのです。

更に、吸湿した木桶は洗いやすいことに気づきます。ご飯がベタつくことがないため、ご飯を食べて木桶が空になったら水を入れ、暫く浸しておくと残ったお米は底に落ち、そのことで桶は格段に洗いやすくなり、水で流しながらスポンジでそっと撫でるだけで綺麗に洗うことができます。わざわざスポンジに中性洗剤を含ませて、泡が洗い落ちるまで流すことはしなくて良いのです。それは節水にもなるでしょう。

この美しさ、香り、機能性は毎日使うものだからこそ、使えば使うほどその品物の性質を理解し、理解が深まると木桶の仕事、つまり炊いたご飯を保存すると言うその仕事を追求した結果故の姿形に対する愛情が沸くのです。

そして毎日使えばいつかはほころぶもの、そこで桶屋の存在があるのです。

お櫃、手桶、風呂桶、たらい、家の中には桶が沢山あったのです。

だからこそ、少しのがたつきや修理は桶屋へ持っていけばあっという間に直してくれ、修理費などは受け取らなかったのです。

先人は使っている道具の性質を尊重し大切に使い続け、道具は使い続けられることにより角が取れ生活に馴染んでいき、そして綻びが生じた時最小限の修繕を職人に依頼してはまた使い続けたのです。

そこにある姿は、今私たちの生活で聞かない日はない、でも実現することが難しい「サステナブル」そのもの。

私たちは使い続けることでモノとの付き合い方を知り、使い続けることでモノとの付き合いの終わらせ方を考えます。それはただ廃棄するだけではなく、人に譲ったり、用途の異なる物に形を変えてみたり、現状に合うそのモノに適切な処分を下すことなのではないかと思うのです。

私たちは少し前の時代の道具から様々なことを学ぶことができます。そして職人は仕事そのもので私たちに物事を教えてくれます。

それは職人が頭脳で教えてくれるのではなく、仕事を続けてきたことによる繰り返しが静かに教えてくれるのです。

何百年もの歴史がある木桶はそんな洗練された道具の一つなのだと思うのです。

「いすむすび」

全国各地にあるフリーペーパー。種類も求人、観光、地域情報、グルメなど数々のカテゴリーがあると思いますが、ぼくが面白いと思うのは地域の来歴を紹介してくれるもの。

「地域を織りなす個性」は、その地域の自然がベース(顔)となり、その自然から育まれた文化(表情)がその地(人)ならではの個性を作るものだと思います。

故に地域の来歴を紹介してくれる冊子は、その地の個性を知るのにとても有益だと思える訳です。

そしていすみにも素晴らしいフリーペーパーがあるのでご紹介したいと思います。

「いすむすび」。

初刊から数えて3号とまだ生まれて間もない冊子ですが、これがとてもおもしろい。

発行は千葉県建築士会夷隅支部と言うから意外と言うか驚きです。誌面に広告がありません。広告収入を目指していないことから、より「地域とともに」を意識させるメッセージ性が高いです。

このいすむすび、夷隅郡2市2町(勝浦市いすみ市大多喜町御宿町)を形成する自然から育まれてきた文化や生業、人にクローズアップしてこの地に潜む魅力を紹介してくださいます。

今回の記事は、いすみ市内にある漆喰壁作りに欠かすことのできない海藻糊を製造する企業の物語、大多喜町の学びの礎を作った人々の物語、勝浦のお囃子復活に注力されている方の物語の3本立て。

ここに掲載されている情報はぼくたちの生活に直接関係ないかもしれないけれど、この地で豊かに暮らす気付きが散りばめられている、そんな内容なのです。

小中学校などで子供たちに紹介してもらいたい内容ばかり。子どもたちが地域のアイデンティティを知ることのできる貴重な体験です。

ちなみにこのいすむすび、日本地域情報コンテンツ大賞2020において、全国475媒体の中から2部門で優秀賞を獲得されたそうです。

丁寧な取材と執筆、そしてデザインの賜物なのかと思います。

ぼくがこの地に住まう理由、それは快適で心地よい暮らしがここにあるから。

そんな暮らしは、このようなまだ見ぬ優良な情報に触れることにより彩りを得て更に深みを増すのです。

いすむすび、北土舎でも置かせていただいております。

是非手に取ってお読みください。

森川さんはひょっとしたら房総最後の風呂桶職人になってしまうかもしれません。

「昔はね、どの街にも桶屋があったですよ。風呂桶だったり、樽だったり、それこそ1回買えば10年は持ちますから。ちょっと壊れてもいつでも直せたしね。」

割れたり、腐ったり、折れたりしても職人の身一つ、技術があればほとんどのものは直すことができたし、何より使っている人たちの日々の使用こそが品物を長持ちさせたのです。

でも今はほとんどの物においてほんの少しの破損でも買った方が安いですよと言われる。

「ここら辺は農家が多かったから、敷地内の杉を倒して材木屋にその木を挽かせてね、行くと材料が用意されてるんですよ。そしたらそこで風呂桶作ったりね。」

今で言う材料支給。

正に道具と自分の技術だけ持っていれば仕事になりました。

森川さんの職場は畳一畳ほどの空間。ここに驚くほどの削り道具、ノミやカンナが掛けてあり、そこから数々の桶が生み出されるのです。材料の板もカンナをかければご覧の通りツルツルに。重要な部分は木釘を入れて頑丈に。

材料の形が不揃いでも道具を使って器用に整形していきます。

こんなに丁寧に作られて、できた桶は控えめだけど、ちょっとではへこたれない人間の下僕となり、役目を終えるとその殆どが自然に帰る。

これを今流行りのサステナブルと言わずして何と言いましょう。

「お弟子さんて今まで居なかったんですか?」

「居たけど、やっぱり辞めちゃいました。桶屋やってもお金にならないもんねぇ。」

自然環境を破壊する企業が声高にサステナブルを叫ぶ現代のものづくり。そしてそれを利用しながらもサステナブルを意識するぼくたち。森川さんにはどう映っているだろう。

「あと2、3年は作りたいですよねぇ。」

人間国宝とか、国民栄誉賞とか、そういう勲章のはるか手前。

でも知ってもらいたい、見てもらいたい人がいる。

こんな地域がまだまだ全国各地にあると思うのです。

それらを発見して地域の成り立ちを知る、そんな文化を誇りに思う、地域愛が醸成される。

そんな地域での暮らしを幸せに感じることができたら地域創生って自然に出来上がるのかもしれません。

手あぶり火鉢

部屋の中に火鉢をおいて、手を暖めてみましょう。

何にも話すことがなくても、お互い手を暖めながら炭火のあかりを見ていると、一言、二言、ぽつりぽつりと言葉が繋がってきて、それはそれは良い時間を過ごすことができます。

いつまで?そう、鉄瓶の湯がシューシュー鳴るまで。

万祝と大漁絵馬

今月は本日(12/6)より20日まで開店しております。

本日はいすみ市民なら是非ご覧になっていただきたい展示会を紹介したいと思います。

いすみ市内にある田園の美術館(郷土資料館)にて開催されている「万祝と大漁絵馬」展(2023.1.9まで)です。

いすみ市の沿岸部は漁業が盛んだったことから、大漁祝い着である「万祝/まいわい」の文化が発達したと言われています。

万祝とは萬祝とも書き、文字通り大漁があった時にそれを祝い、感謝の為に作られた祝い着のことを指します。

船主から船員に反物して贈られ、船員の家人はそれを長着(現代で言う長ランのようなものでしょうか)に仕立て、翌年の正月に全員でそれを着て神社を詣でたと言う。何とも粋な文化が昭和の30年代まであったそうです。

その習慣もなくなり、今では作り手が2軒だけとなってしまいました。

商品は額装やのれん、珍しくはダンス用のジャケットなどとして注文があるとか。

大漁絵馬も見応えがあります。

絵馬をよく見ると、当時の漁法や庶民の服装、どんな思いで絵馬が作られたかを垣間見ることができます。

絵馬と言ってもとても大きく、個人的な願いを書く現代の絵馬とは異なり、根底に感謝の気持ちが込められていると思うと、見ていて良い気持ちになれます。

万祝も絵馬も共通するのは自然や人に対する感謝と願いです。

万祝と大漁絵馬、房総人のアイデンティティそのものです。是非ご覧になっていただきたいと思います。

願わくはいすみ市のホームページにデカデカとPRしてもらいたいなぁ。もったいなすぎる。関係者の皆さん、お願いします!