―北土舎―
味わいの古民家に集う
千葉の工芸、千葉の手しごと。
―ナナクニヤマMINKA―
火のある生活の体験
地域工芸に触れられる宿
―いすみレンタルスペースNARUSE―
~地域の交流空間~
一日だけのお店やりませんか?
大原文化ストリート
駅前を歩こう 街を歩こう

いすみより愛をこめて

日本の人形文化

最近の世界のよどみを見聞きして残念に思うとき、ぼくは平和なもので、八百万(やおよろず)の神って考え方は柔軟で民衆的な良い文化だなぁと思います。

今日は晴れて気持ち良いや、お天道様ありがとう。山で竹の子が取れた、山の神様ありがとう。竹の子火にかけて炊き込みご飯を作ることができた、竈の神様ありがとう。トイレに行ったら今日も健康な排泄、厠の神様ありがとう。

感謝するとき、大体人は穏やかです。感謝の対象がいくつもあるから、一つを否定されても心のそらし処がある。

そんな感謝のあり方の一つとして表しているのが、日本の人形文化ではないのかと感じるのです。

日本の人形は玩具としての役回りだけでは無い、精神的なよりどころとしての存在があります。日々の生活に感謝したり、子どもの成長を願ったり、厄払いの身代わりにしたり。

より自然に、より密接に、生活と共にあります。

この顔を見てみてください。

穏やかにならずにはいられませんよねぇ。

大原文化ストリート開催しました

大原文化ストリート

お天気なんとか持ちこたえて開催することができました!

街に流れるピアノの音色。

出店から流れてくるのは美味しそうな良い匂い。

本屋さんが立ち並び、古民家からはコンサートの合唱。

拠点へ渡るため駅前を行き来するご来場の方々。

そう、こんな風景をもっともっと見てみたい!

踏み出した一方はまだまだ安定しませんが、駅前の賑わいを憧れの時代に近付けることができるようアクションし続けていきたいです。

関わってくださった皆さま、本当にありがとうございました。

音楽と本のイベント「大原文化ストリート」

ずっと前から駅前の通りで人の集まるイベントができたらいいな、と思っていました。

来月実現です!

音楽と本のイベント「大原文化ストリート」

駅前の通りで音楽が流れて、本があったらステキだな。

そんな思いをテーマにしたイベントです。

い鉄ブックスの三星ご夫妻と一緒に企画してきました。

ストリートピアノ、古本市、アコースティックミニライブ、雑貨販売、体験、そしてフード&ドリンク。

北土舎も体験コーナー「機織りでしおりを作ろう」で参加させていただきます。

魅力ある駅前は自分たちで作ろう!

特設Webサイトにはイベントの詳細が随時掲載されていきますので、ぜひご覧ください!

たくさんの方々が駅前を訪れてくださいますよう、記事のシェアにご協力いただけると幸いです。どうぞよろしくお願いします。

詳しはこちらをご覧ください

ウェブサイト

FACEBOOK

https://www.facebook.com/events/921577319634959

INSTAGRAM

https://www.instagram.com/bunkastreet.oharaisumi/?hl=ja

暮らすように滞在する。

ここ、いすみには有名な観光地は無いけれど、民泊で泊まりにいらっしゃるゲストの皆さんが教えてくださいました。

「国吉エリアマップに載っていたチーズ工房のチーズ、メチャクチャ美味しかったです!」「田んぼの見えるカフェ行ってきたけど、とっても気持ちよかった!」「焚き火楽しんだ後の露天風呂、最高でした!」

そう、有名な観光地が無くても、楽しみ方を知っている人はものすごく楽しんでいる。

そしてこの地でデトックスして、リフレッシュしている。

そのヒントは、「暮らすように滞在する」こと。

最近、いすみは旅行するのではなく、滞在を楽しむ所なのでは無いかと気づきました。

日々の暮らしの延長上にいすみの地があって、住まいこそ違えどそこで数日滞在しているその時に、自分の家にいるかのように近くのカフェへ行ったり、普段読まない本を読んでみたり、家族や友人と話したり、食事をしたり。

日常を異なる地で変換しただけで、こんな至福を味わうことができる。

同じ一日の田園風景だって、場所が異なればとても表情豊か。

そんな自然に囲まれて穏やかな気分でいると、自分自身を包んでいるもやもやしたものが溶けるかのように無くなっていくのを感じるのです。

都会からこんなに近いのに、日常のストレスを包んですっかりしぼませてくれる包容力。

そこにあるのは圧倒的な大自然や歴史的建造物などではなく、コンパクトな自然と街、そして人々の暮らし。

いすみの魅力は、暮らすような滞在ができること。

この喜び、是非お伝えしたいと思います。

いつでも喜んでお迎えいたします。

北土舎の民泊施設、ナナクニヤマMINKAの露天風呂の古い風呂桶を新しくしました

この風呂桶は地域の木桶職人が、いつもの技術で、日本の木材で、全て一人で、手作りにて仕上げています。

特別なことは何もありません。気をてらわない、少し昔ならただの少し大きめな風呂桶と言ったところです。

先ずその木肌に触れてみてください。つるつるじゃありません。ざらざらでもありません。ただただ優しいのです。濡れた木肌も本当に美しいです。

そして香りを楽しんでください。檜の香りは心からリラックスさせてくれます。

木釘で連結された板の木目は整然として、それを締め付けている鉄線は力強さを感じます。

水を満たしても頑丈で大人が二人入ってもびくともしません。

細長い板を組み合わせているだけなのに、質実剛健で美しい。

誇らしい日本の木桶文化です。

木桶の風呂は入浴という日常が非日常なものになります。

でも今では旅館に行っても中々お目に掛かることはありません。

それを作ることのできる職人がほとんど居ないからです。

この風呂桶を作ったのはご高齢の職人です。ここでの風呂桶としての納品は最後になるかもしれません。

私たちは価格や利便性を追求し過ぎるあまり、大切な技術や文化を失いつつあります。

せめてこの職人の矜持を知っていただきたいと思うのです。

ナナクニヤマMINKAのウェブサイト

使い続ける話し

我が家では隣町にある桶屋さん、森川風呂桶店のお櫃(ひつ)を愛用しています。

若い頃は旅行先の旅館や気の利いた食事処などで料理と共に見かけることはあっても、自分の家で使うことを考えたことはありませんでした。

自宅に炊飯器はあったし、炊飯器でご飯を炊いたらラップに包んで冷蔵庫に保存しておく方法が一番楽だと思っていたからです。

つまりお櫃はあったとしても余計なものだと思っていました。わざわざ買う必要もないだろうと。

ところが、使用してみるとその総合的な使い勝手が良いことに気づいたのです。

先ず美しい。

物に溢れている現代、私たちは機能性だけではなくそのビジュアルからしばしば物を選ぶことができます。

このお櫃はサワラと言う木材からできています。

切った木材を、オリジナルの定規を利用して組んだら丸くなるようカンナで削っていくのですが、その木目は美しく、つなぎ目はぴっちりと密着しています。

部材を引き締めるのに使用している銅製のタガは使い込むとピカピカから落ち着いた色へと変色し、全体のデザインを引き締めるアクセントにもなっています。

蓋を被せると程よい抵抗感があり、多少の通気を保ちながらもブカブカにならず、ピタリと閉まっていくのが分かります。この蓋が頭を形成し、炊いたご飯を入れる桶部と一体となった時にできるお櫃のフォルムは、食膳に独特の存在感を見せてくれます。

そして全体的にムダなデザインはありません。炊いたご飯を保存しておく、その仕事のために材料は厳選され、体は作られているのです。余分な贅肉を持たない、ただ競技を極めるアスリートの身体が美しいと感じる気持ちと同様、この木桶にも私たちは感動を得ることができます。見ていて飽きない気持ち良さが木桶にはあります。

続いて香りが良い。

お櫃は通常サワラ、スギ、ヒバ、ヒノキなどで作られますが、水分を含むと針葉樹独特の香りがします。

この香りは抗菌、防臭効果も併せ持ち、炊き上がったご飯の香りと相まって得もいわれない心地良さを感じるのです。所謂フィトンチッドというものでしょうか。

これは無機質的な素材では先ず感じることのできない、木製のお櫃ならではのものでしょう。

そして乾くと香りは落ち着く。何とも不思議かつ素材の醍醐味を味わせてくれます。私たちはこの香りに程よい幸福感を得ることができるのです。

そして最後に機能的である。

使い続けてすぐに分かること、それは炊きあがったご飯の余分な水分を木桶が吸い取ってくれ、ご飯を程よい状態に保ち続けてくれることです。

しゃもじでご飯を掬うと、木桶から、またご飯どうしから、ご飯が綺麗に掬い上げやすくなっていることに気づきます。これは明らかに炊飯器やタッパーからご飯を掬い上げる時と異なる感覚です。

かと言ってご飯はパサパサになることはありません。

木材に含まれた湿気は、櫃内の湿度を適度に保ち、ご飯自体が乾いてしまうと言うことはないのです。
木材は湿気を調節するために呼吸しているのです。

更に、吸湿した木桶は洗いやすいことに気づきます。ご飯がベタつくことがないため、ご飯を食べて木桶が空になったら水を入れ、暫く浸しておくと残ったお米は底に落ち、そのことで桶は格段に洗いやすくなり、水で流しながらスポンジでそっと撫でるだけで綺麗に洗うことができます。わざわざスポンジに中性洗剤を含ませて、泡が洗い落ちるまで流すことはしなくて良いのです。それは節水にもなるでしょう。

この美しさ、香り、機能性は毎日使うものだからこそ、使えば使うほどその品物の性質を理解し、理解が深まると木桶の仕事、つまり炊いたご飯を保存すると言うその仕事を追求した結果故の姿形に対する愛情が沸くのです。

そして毎日使えばいつかはほころぶもの、そこで桶屋の存在があるのです。

お櫃、手桶、風呂桶、たらい、家の中には桶が沢山あったのです。

だからこそ、少しのがたつきや修理は桶屋へ持っていけばあっという間に直してくれ、修理費などは受け取らなかったのです。

先人は使っている道具の性質を尊重し大切に使い続け、道具は使い続けられることにより角が取れ生活に馴染んでいき、そして綻びが生じた時最小限の修繕を職人に依頼してはまた使い続けたのです。

そこにある姿は、今私たちの生活で聞かない日はない、でも実現することが難しい「サステナブル」そのもの。

私たちは使い続けることでモノとの付き合い方を知り、使い続けることでモノとの付き合いの終わらせ方を考えます。それはただ廃棄するだけではなく、人に譲ったり、用途の異なる物に形を変えてみたり、現状に合うそのモノに適切な処分を下すことなのではないかと思うのです。

私たちは少し前の時代の道具から様々なことを学ぶことができます。そして職人は仕事そのもので私たちに物事を教えてくれます。

それは職人が頭脳で教えてくれるのではなく、仕事を続けてきたことによる繰り返しが静かに教えてくれるのです。

何百年もの歴史がある木桶はそんな洗練された道具の一つなのだと思うのです。